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NISM コラム

お金にまつわるつぶやき

Vol. 9 政治と宗教、歴史的には不可分でしょう。

投稿日:2022.08.19

 安倍元首相暗殺事件以来、政治と宗教の関係が取りざたされるようになりましたが、日本の上代においては祭祀の主宰者と政治上の権力者が同一人物、つまり祭政一致でした。そのため「政」と「祭」が同じ訓み仮名が充てられています。

 話は大きくなりますが、世界四大文明はいずれも氾濫農耕で興りました。つまりいずれも砂漠の様な乾燥地帯に毎年洪水が発生し、肥沃な農耕地が現れます。政治上の権力者にとってその権力の根源は治水でした。その為に暦法、天文学、測量術、幾何学などが発展しました。 しかし気象現象は「計算」通りにはならないものです。そこで「神頼み」が必要になり、権力者は祭祀の主宰者でもなければならなくなります。プトレマイオス朝におけるエジプトのファラオがそれです。国王は神の化身として神権政治を行います。

 そして時の為政者は自身の正統性を示すために宗教の力を借ります。9世紀にはじまったローマ帝国では、ローマ教皇が皇帝に冠を授け、皇帝は教会と教皇の守護者となるという相互依存、なれ合いの関係にありました。そして皇帝の権威は教会を通じすべてのカトリック世界に及んでいましたが、こうなると最早どちらが「偉いのか」わからなくなります。

 そして教皇は贖宥状(免罪符)という名の「お札」の「販売」を始めます。お札を買えば現世の罪が許されて天国に行ける、死者のために買えば死者が天国に行けるというものです。最近話題の「壺」のようです。政治権力者、教皇そして金融業者がそれぞれの思惑と利益のために贖宥状がドイツで大量販売されました。アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクはマインツ大司教と枢機卿のポスト獲得のために、教皇レオ10世はサン=ピエトロ聖堂改修のために、フッガー商会は貸付金の回収と貴族としての爵位のために。

 これが余りにも酷い農民搾取になったので、ルターの宗教改革が勃発します。ちなみにフッガー商会は全盛期には世界の主要都市に80支店を持ち、メディチ家の10支店を遥かに凌駕する規模だったと言われています。各支店からの報告をまとめて“連結”決算をしましたが、会計を取り仕切ったのはマテウス・シュヴァルツ。彼はミラノとヴェネツィアで複式簿記を身につけましたが、この複式簿記のお陰でフッガー商会は繫栄したと言われています。また、彼は無類の服装マニアで、彼が着ていた衣服を20年分精密な絵画とともにまとめた本は世界初の「ファッションブック」として、本業の「簿記に関する本」よりも有名です。

 さて、現代の日本では憲法第20条によって政教分離が厳格に規定されています。政とは、政府・君主・国家を指し、教は宗教団体を指します。日本と同じように政教分離原則の国にはフランス、アメリカ合衆国などがありますが、アメリカ大統領の就任式で大統領は「聖書」に手を置いて宣誓します。はっきりと分離させることが如何に難しいことなのかという例です。

 世界中のほとんどの国は、日本のように厳格な政教分離とはなっていません。まず、イスラム諸国、イギリス、スェーデン以外の北欧、ギリシャ、中米諸国、スリランカ、ブータンは、それぞれイスラム教、プロテスタント、ギリシャ正教、カトリック、仏教などが「国教」として規定されているので、政教融合です。そしてドイツ、オランダ、イタリア、スペインなどは、政教条約(協約型)によって教会(宗教団体)を国家が認める代わりに国家統制下に置くという方式です。もちろん厳格な社会主義国、共産主義国では、宗教団体そのものが認められていません。

 興味深いのは「協約型」のドイツで、1949年基本法第140条によって宗教の自由が認められていますが、宗教とカルトが社会通念として明確に分けられています。ドイツ人が考える宗教とは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教および仏教でそれ以外はカルトとみなされます。多額の献金を強要するようなカルトを宗教とは看做していないのです。

 日本は政教分離と言いながらも、カルトも含め多くの新興宗教が都道府県知事および文部科学大臣によって「認可」されてしまっています。反社会的組織とも考えられるカルトに宗教法人格を与えてしまっていることに問題があると思います。それは、宗教法人は税務上の減免規定によって税金が優遇されているからです。信教の自由と政教分離は分けて考えなければならないのですが、これを丁寧に説明する政治家もマスコミも教育者も極めて少ないことが残念です。何と言っても「適切に対応」して頂きたいものです。

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